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新島襄旧宅
新島襄は、天保14(1843)年、安中藩士の子として江戸・神田に生まれました。21歳で渡米しキリスト教徒となり、帰国後父母の住む安中へ一時帰郷し、キリスト教を伝えました。その後、神戸から京都へ向かい、同志社英学校を設立し、47歳でこの世を去りました。
「文教のまち」として知られる安中市は、安中藩主、板倉勝明によってその基礎が築かれました。
幼少期の襄はこの藩主の影響を強く受けましたが、自身もキリスト教の教えを伝えるなど、安中の文化に多くの影響を与えました。湯浅治郎、湯浅半月、海老名弾正、柏木義円、千木良昌庵など、襄の思想に感化された多くの文化人がいます。
新島襄は明治7(1874)年11月29日、この家で10年ぶりに父母姉妹と再会しました。ここは新島襄が脱国から米国での苦学の経験を活かし、日本での活動を始める第一歩となった場所です。その後、襄は京都に同志社英学校を設立し、キリスト教を基にした人格教育を行うことに全力を尽くし、明治23(1890)年1月23日に神奈川県大磯で亡くなりました。
この建物は昭和38年、来訪者が新島襄の業績をしのぶとともに、その精神を受け継いでいくことを願い、遺品や関係書類、写真などを収集して展示する施設として市が移築改修し、翌年に開館したものです。
ご案内
所在地 | 安中市安中1-7-30 |
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開館時間 | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) ※冬期(12月〜2月)午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで) |
休館日 | 月曜休館(月曜が祝日の場合はその翌平日) 年末年始 |
入館料 | 無料 |
駐車場 | 普通車15台(バス不可) ※バス駐車希望の場合は観光課(下記代表電話・平日のみ)へ事前に連絡すること |
問い合わせ | 新島襄旧宅 027-382-2930 文化財課 027-382-7622(平日のみ) |