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移住者インタビュー:藤川 真一(ふじかわ しんいち)さん
移住者インタビュー 05(note#4) 藤川真一さん
インタビュー:2025年10月16日

写真1:藤川さんご夫婦
こんにちは!
安中市地域おこし協力隊の平間です。「移住・定住コーディネーターとして、令和6年4月に東京都から移住してきました」
このシリーズでは、安中市に移住してきた方々に実際の安中暮らしを赤裸々に語ってもらいます。
今回は安中市松井田町坂本にある「鳴門屋食堂」さんへ移住者インタビューさせていただきました。
鳴門屋食堂のおすすめはサンマーメン、炒飯、タンメン、限定のナポリタン・・・何食べても美味しいお店です。
家族構成:奥様と2人暮らし+犬11匹+猫21匹
出身地:神奈川県横浜市
移住前のお仕事:新聞代理店(神奈川県小田原市)2017年に安中市松井田町へ移住
奥様との出会い:バイク仲間。偶然、一緒に走っていた仲間の一人。出会いから2週間後に結婚。
現在、結婚生活20年。2020年神奈川県小田原市より安中市松井田町へ移住。
鳴門屋食堂を経営しつつ、動物保護活動をしている。
目次
1.移住を考えたきっかけは何ですか?
2.安中市のどんなところが決め手?
3.回想編〜留学・就職・移住〜
4.移住してきて困ったことはありましたか?
5.今はTシャツにズボン、白い長靴姿
6.いま、安中市を移住先に考えている方がいたらかけたい一言!
7.今後の展望は?
1.移住を考えたきっかけは何ですか?
『保護した動物たちと広い家、広い庭で生き生きとした生活したい。全ては飼い猫、飼い犬の為かな』
と話す藤川さんは動物愛護にあふれる方でした。
動物の保護活動を始めたきっかけは・・・
『幼少期から厳しい家庭で育ったから、寂しさもあった。動物は存在だけで癒されるんだよね』
25歳から「神奈川県動物愛護協会」と連携し猫・犬の保護活動を開始。
全国各地で起きている問題の一つにブリーダー崩壊があり、狭い空間で過度に繁殖が行われる。
血統が崩れ、奇形や障害を持って生まれてくる子たちが沢山いる。
劣悪な飼育環境で障害のある動物たちの場合、飼い主が見つからない事も多く、行き場を失った犬・猫が数多くいる。負の連鎖が行われている現実。
『そんな子たちを救いたいという思いから、日本国内であれば、どこへでも迎えに行きました。そうでもしないと野犬やケガをしていて飼い主が見つからない子たちは殺処分になってしまうから』
『しかし多頭飼いになると、なかなか横浜の住宅街で生活を続けることが難しくなった。近所の家も近いし、室内も狭い。動物たちを狭いところで飼育しなければならない』
そこで・・・広い家に引っ越したいと思い移住を決断。

写真2:現在飼っている保護犬たち
2.安中市のどんなところが決め手?
『正直、広い場所であれば引っ越す土地はどこでも良かった。そんな時、偶然、空き家バンクで安中市の物件を見つけて、決めたんだよね』
『家は角地で近隣が密接していない。庭もあり景色もすごく良い!』
現在は犬・猫あわせると32匹飼育している。もちろん譲渡会もして新しい飼い主さんが現れれば、引き取っていただく事もある。
生涯、飼育頭数は100匹以上にのぼる。
3.回想編~留学・就職・移住~
(1)思い立ったらすぐ行動~過去の自分
『17歳のある日、矢沢永吉の大ファンで矢沢が自分の全て!そう思い、行動する事、持ち物、全てに憧れ、真似をし共に生きてきた・・・
矢沢永吉のCDジャケット風景(逃亡者)を見て同じ場所に行ってみたい!と思いながら、新宿の街を歩いていた・・・』
『その時、ふと目に留まったのが新宿アルタ横の壁に偶然貼ってあったアメリカのUCLA留学案内だった。
67万円で留学ができる(当時の金額)・・・アメリカに行けばCDジャケット風景(逃亡者)と同じ場所に行ける。行くしかない!!』
それからは夜も寝ずに必死で宅配便のアルバイトを始める。
貯金もたまり、ついに18歳の6月から単身で渡米!
UCLAへ留学。英語も少し勉強しつつCDジャケット風景(逃亡者)を探す日々が続く。
2年半探し続けたが、結局見つからなかった。
そして諦めて帰国した際に改めて調べてみると・・・なんと、そのジャケット写真はアメリカではなく、オーストラリアである事を知った!!!
『今ではあり得ない話だよね・・・あの頃はインターネットが無かったから、調べる方法も限られていたからね笑』
(2)28歳新聞代理店へ就職
しかし就職してからわずか10か月足らずで会社は倒産し、立て直すために会社社長を引き継ぎ経営者になる事に・・・
新聞代理店の経営者となり社員を約40人雇用。約20年間働き続ける日々。もう一花咲かせたいと思い、閉業する事を決断。
『当時を思い出すと・・・金銭的な余裕はあったが、このまま長時間労働を続ける事や、思想を売る事への疑問もあった。スーツを着る毎日、長時間労働、保護猫や保護犬たちと過ごす時間の少なさ・・・』
『疲れた』って表現が正しいかな。
(3)2020年安中市へ移住
『最初は移住してカフェをしようとしていた。
色んな国のコーヒー豆を取り寄せて、試行錯誤してね。色々勉強したよ』
でも近所の方に『コーヒーよりラーメンが食べたい』と言われ、地元の方の意思を尊重しカフェ経営をやめラーメン屋の道へ・・・
『それからというもの毎日Youtubeでラーメン作りの勉強した』
ーえっ?ラーメン屋で修行して開店したのではなく?
『ラーメン作りなんてした事なかったよ。
横浜は地元だし、中華街に友人もいて、ラーメンの味は分かっていたから(笑)』
『バイパスができる前の旧道(国道18号線)には飲食店が沢山あったようで、今では旧道を通る車が減ったから、みんな閉めちゃったらしい。だからこそ地域の人が求めている事をした方がよいな!って考えが変わったのよ』

写真3:鳴門屋食堂の商品(一部)
4.移住してきて困った事はありましたか?
『実際に少子高齢化も進んでいて過疎化している場所だから、昔からの伝統を守る事も大事だし、地域を守る事も大事だし、移住者を受け入れる事も大事だし、それぞれに大事なことがある。
最初は地域との関りで、昔から引き継いでいる物事に順応する事は色々大変だったかな』
5.今はTシャツにズボン、白い長靴姿
『横浜や小田原では毎日スーツ着てネクタイ締めて、いい靴やカバン持って格好つけていたけど、今はこんな感じ・・・長靴なんて小学生以来だよ。でも今はこれが俺のスタイル!』
『金銭的には都会にいた方が、余裕あったけど、自分らしく生きるなら、こっちの方が合っている。いまはそう感じている』

写真4:夫婦のツーショット写真
6.いま、安中市を移住先に考えている方がいたらかけたい一言!
『なんとかなる!!』
最後に力強い一言をいただきました。
7. 今後の展望は?
『まだまだ沢山あるよ!人生はこれから一番は動物に囲まれた生活をしたい』
ご主人・・・「本当はナマケモノやラマなど珍しい動物も飼育したい」
奥様・・・「そんな話、聞いてない!本気で言ってるの?」
ご主人・・・「はい。飼いたいです!」
終始、楽しい会話が続く鳴門屋食堂でした。ラーメン屋をもう1店舗出店する予定で現在、富岡市で検討している。
現在の仕事:高齢者施設で朝5時から8時(3時間調理)
8.お店情報
鳴門屋食堂
〒379-0307
群馬県安中市松井田町坂本936-1
駐車場:あり
営業時間:11時~13時30分(木曜日定休日)
★週末営業あり 金・土・日曜日 17時~19時(要確認)
インタビューアー:平間麻衣子(安中市移住・定住コーディネーター)

安中市移住・定住コーディネーターへの移住相談申込みフォーム→https://logoform.jp/f/Tnwdf<外部リンク>



